髪形・ひげについて
鎌倉時代の男性
冠下の髷&烏帽子
鎌倉時代の男性の髪型は、平安時代から引き続き、冠下の髷&烏帽子スタイルでした。
天皇や、武家、医師、学者なども冠下の髷を結っていました。
ヒゲは?
公家(朝廷に仕える者)はひげを生やさないのが普通でした。
ただ、武士は、かぶとのひもを結ぶ都合からあごひげを生やす者も多かったとされています。(重要)
鎌倉時代の女性の髪形
短めの垂髪など
鎌倉時代の女性では、平安時代の優美さが薄まり、だんだんと質素・簡略・合理的になっていきました。
髪型は、平安時代より短めの垂髪や、後ろで元結(ひも)で束ねたりすることが多かったとされています。
あまり髪を飾ることされなかったようです。
室町・戦国時代の男性(重要)
室町時代に入ると、髪形は次第に複雑化していき、色々な髪型が出てきます。
室町・戦国時代では、以下のような髪型があったとされています↓
①たぶさ
後頭部で1つに束ねて根元をひもなどで結んで後ろに垂らす髪形
②束ね髪
頭上で丸く束ねて髷にする髪形
③二つ折
頭上で束ねた頭髪を2つに折りたたんで髷にする髪形
④断髪
首のあたりで切りそろえる髪形
ヒゲは?
室町時代に入ると、武士だけでなく、一般庶民もひげを生やす者が出てきました。
室町・戦国時代の女性の髪形
短めの垂髪など
女性については鎌倉時代と同様な髪形が流行していました。
服装
鎌倉・室町・戦国時代の男性の服装(重要)
武士は、質実剛健(中身が充実して飾り気がなく、心身ともに強くたくましい様子)を重んじ、日常着は簡素なスタイルでしたが、鎧などには手の込んだものを用意していました。
公服は?
鎌倉・室町・戦国時代では、平安時代の貴族の日常着だった直衣と狩衣が、貴族や武家の公服(公の用事の時着る服。)となりました。
礼服は?
鎌倉・室町・戦国時代では、先に①水干(すいかん)が、後に②直垂(ひたたれ)が、冠婚葬祭(結婚式・入学式・お葬式)で着用することができる服装(礼服)となりました。
直垂(ひたたれ)が武家の礼服になってからは、少年の礼服、下級武士の日常着になっていきます。
①水干(重要)
- 狩衣の一種。
- 丈が短い。
- 袴の裾を袴の中にたくし入れてて着る
②直垂
- 垂領(たりくび)という襟を持つ。
- 切袴(きりばかま)という、裾を括らない袴を履く。
- 直垂の代表的なものに、家紋を大きく染め抜いた大紋(だいもん)がある。
鎌倉・室町・戦国時代の女性の服装
鎌倉・室町・戦国時代の女性の服装は、平安時代に比べ、簡略化されていきました。
特徴をまとめると以下の通りです↓
まとめ
- 平安時代に着用された袿(うちぎ)の重ね着が見られなくなる。
- 肌着として着用されていた小袖が表着(=一番上にくる服)になった。
- 上下二部式(2つに分かれた状態)の小袖袴(こそでばかま)が日常着になった。
- 室町時代になると、小袖が主体の一部式に移っていった。
化粧
鎌倉・室町・戦国時代の化粧
鎌倉・室町・戦国時代の化粧は、平安と比べてあまり大きな変化はありません。
ちょっとした違いををまとめると以下の通りです↓
眉化粧・お歯黒・おしろい
- 鎌倉時代には、額の生え際と目の中間の位置に大きく眉を描いた。
- 室町時代では、上流の女性は眉を抜いて額の上部へ太く別の眉をかき、額も白くおしろいを塗った。
- 公家や平家などの身分の高い家柄の青少年(公達)も女性と同じようにお歯黒をして白いおしろいを塗り、眉を描いていた。
まとめ問題
問)平安時代末期から鎌倉時代にかけての服装などに関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。
(1)強装束とは、平安時代末期から流行した公家の服装をさす。
(2)鎌倉時代、武士はかぶとのひもを結ぶ都合から、あごひげを生やすことはしなかった。
(3)平安時代末期には女性の唐衣裳の内着は、5枚と定められ五衣とよばれた。
(4)鎌倉時代に入ると、貴族の日常着である直衣や狩衣は貴族や武家の公服となり、 また水干が武家の礼装となりました。
正解(2)…鎌倉時代、武士はかぶとのひもを結ぶ都合から、あごひげを生やすものも多かった。