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文化論

3.日本(縄文・弥生・古墳時代) まとめ

縄文時代

縄文時代は、土偶によって当時の状況を考察することができます。

髪形について

日本の髪形の歴史を語る最も古い資料とは?



日本の髪形の歴史を語る最も古い資料は、今から7000年ほど前の縄文早期のものと思われる木製の櫛です。(重要)

それってどんなもの?

  • 2,3ミリの細かい木片を束ねて折り曲げたもの。
  • 髪に飾るためのものであった可能性が高い。

土偶から縄文時代の髪型を読み取る!

縄文時代の土偶を見てみると、頭に櫛やピンをさしたものや髪を結ったものなど、様々な髪形をしています。

ほかにも、

  • 耳飾りや腕輪
  • 顔料を顔にぬってあるもの
  • 抜歯されたもの
  • 入れ墨のはいったもの

など様々なものがあり、豊かな文化であったことがわかります。

装身具・飾りについて(重要)

縄文時代では、身体のいたるところにさまざまな飾り、装身具が使用されていました。

用途は?

装飾品としてではなく、神や精霊などの神秘的な力に働きかける呪術性の強いものだったと考えられています。

材料は?

櫛(くし)・簪(かんざし)などの数少ない実用的な装身具は、木・竹・骨などで作られていました(重要)

服装について

土偶から縄文時代の服装を読み取る!

当時の土偶が着用している衣服を見ると、ジャケットとショートパンツのような組み合わせのものや、ワンピースやスカート、長ズボンのような衣服を着用した土偶があります。

参考:https://intojapanwaraku.com/culture/32979/

縄文人の衣装は、体形にフィットする裁縫型のものだったのではないかと思われます。

弥生時代

髪形について

髪型は分からない?

この頃は、土偶などの参考資料が出土されていないため、髪形については不明です。

装身具・飾りについて(重要)

弥生時代には、首・腕・指などを中心に装身具が用いられました。

材料は?

材料はガラス、腕飾りには、貝殻が使われていました。

貝殻でつくられた貝輪の腕飾りが非常に発達していました(重要)

服装について

魏志倭人伝などによる考察

魏志倭人伝によると、女性は、2枚の布を合わせ、頭と腕の出る部分を残して繋ぎ合わせた衣服、男性は布をほとんど縫うことなく結んで作られていたいたといわれています。

イメージは、袈裟のような感じです

参考:袈裟の画像

古墳時代

古墳時代は、埴輪によって当時の状況を考察することができます。

髪形について(重要)



古墳時代には、人物埴輪が登場し、当時の髪形を想像することが可能になります(重要)

人物埴輪から古墳時代の髪型を読み取る!

人物埴輪から考察すると、

男性は、角髪(みずら…頭髪を中央から左右に分けて束ね、耳のあたりで輪にして垂らしたもの)

女性は、島田髷(しまだまげ)に似た、大きな髷をのせたスタイルであったと考えられます。

参考:人物埴輪の画像

万葉集から古墳時代の髪型を読み取る!

万葉集によると、色は黒で、男子の角髪、少女時代の切り髪振り分け髪などがあったとされています(重要)

(かずら…鬘とも書く)・挿頭(かざし)・髻華(うず…髻花とも書く)などの髪飾りも発達したとされています(重要)

魏志倭人伝から古墳時代の髪型を読み取る!

『魏志倭人伝』によると、男性は角髪で帽子をかぶらず、女性は髪を後ろへ束ねるような髪形であった。

服装について(重要)

古墳時代の服装は、埴輪によって、その様相を推測することができます。(重要)

人物埴輪から古墳時代の服装を読み取る!

〜上着〜

上着には、以下のような特徴があります。;

  • 男女とも上衣は前合わせ式のジャケットタイプ
  • 筒袖で、開いた袖口
  • 首元やウエストの位置で紐で結んでいる
  • 体形にフィットさせたスタイル
  • 男性は剣を吊るために太いベルトを腰にまわしています。

参考:人物埴輪の画像

〜ズボン・スカート〜

  • 男性のボトムは膝下を紐で締めた太めのズボンで、(はかま)と呼ばれます。(重要)
  • 女性は、ヒダや折り目(プリーツ)のあるスカート状のもので、(も)と呼ばれます。(重要)

参考:人物埴輪の画像

縄文・弥生・古墳時代の化粧(重要)

魏志倭人伝による考察

『魏志倭人伝』によると、おしろいの前には、赤の化粧が存在したとされています。

目的

顔面を赤く塗る化粧は、魔除けに近いものであったといわれます。

死者の魂を鎮める・蘇生を期待する・死者の魂が生者に危害を加えることがないよう願う…など

材料

弥生時代の赤の色素は、水銀を原料にしたベンガラ(朱と鉄の酸化物)などが使われていました(重要)

まとめ問題



縄文・弥生・古墳時代の髪型や装身具などに関する次の記述のうち、正しいものはどれか。

(1)日本の髪型の歴史を語る最も古い資料は、今から6000年程前の縄文早期のものと思われる木製の櫛である。
(2)「万葉集」においても、髪に関する表現があり、そこから当時の髪型がうかがえます。 男子の切り髪、少女時代の角髪などがみられる。
(3)髪飾りでは、「万葉集」 にも詠まれたような、鬘(かずら/鬘とも書く)や挿頭(かざし)・髻華(うず/花)が発達した。
(4)縄文時代の腕飾りは貝殻の貝輪が非常に発達した。

 

正解(3)

(1) 日本の髪型の歴史を語る最も古い資料は、今から7000年程前の縄文早期のものと思われる木製の櫛です。

(2)「万葉集」においても、髪に関する表現があり、そこから当時の髪型がうかがえます。 男子の角髪、少女時代の切り髪などがみられます。

(4) 弥生時代の腕飾りは貝殻の貝輪が非常に発達した。

縄文・弥生・古墳時代の化粧や服装などに関する次の記述のうち、正しいものはどれか。

(1)弥生時代、櫛、簪はこの時代の数少ない実用的な装身具で、木、竹、骨などで作られた。

(2)弥生時代の赤の色素は、水銀を原料にした朱と銅の酸化物であるベンガラなどであった。

(3)古墳時代の服装は、埴輪によって、その様相を推測することができます。男性のボトムは膝下をひもで締めた太めのズポンで裳(も)とよばれている

(4)古墳時代後期(5~6世紀)になると、人物填輪が登場し、当時の髪型を想像することが可能になる。

正解(4)…古墳時代後期(5~6世紀)の男性の髪型は、角髪であったことが想像できます。

(1)・・・縄文時代、櫛(くし)、簪(かんざし)はこの時代の数少ない実用的な装身具で、木、竹、骨などで作られた。

(2)・・・弥生時代の赤の色素は、鉄を原料にした朱と銅の酸化物であるベンガラなどであった。

(3)・・・古墳時代の服装は、埴輪によって、その様相を推測することができます。男性のボトムは膝下をひもで締めた太めのズポンで褌(はかま)とよばれています。女性はプリーツがとられたフレアースカートで、裳(も)と呼ばれます。