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文化論

4.日本(飛鳥・奈良・平安時代) まとめ

飛鳥・奈良時代

男性の髪形

飛鳥・奈良時代の男性の髪形には、以下のような髪型があったとされています。

①角髪

飛鳥・奈良時代の髪形は、古墳時代同様、男性は角髪が多かったとされています。

②冠下の髷

朝廷の男性は、髻(もとどり)(髪を頭の上に集めて束ねたもの)の上に、袋状の冠物(かぶりもの)をかぶるスタイルの冠下の髻(かんかのけい)が多かったとされています。

女性の髪形

飛鳥・奈良時代の女性の髪形には、以下のような髪型があったとされています。

①肩のあたりで折り曲げて結ぶタイプ

前髪を束ねて、それを後ろに垂らし、肩のあたりで逆さに折り曲げて結んだ髪型。

②頭上一髷・頭上二髷

中央分けにした髪を途中から折り返して上げ、頭上で1つか2つの髷をつくる髪形。髷が1つなら、頭上一髷(ずじょういっけい)・2つなら頭上二髷(ずじょうにけい)と呼ばれます。

③四つ割

鬢を4つ作り、頭上で結んだ髪型。

朝廷の服装



三公服(礼服・朝服・制服)

飛鳥・奈良時代の朝廷では、中国にならった服制(身分や階級による服装のきまり)が導入されました。それによって、

  1. 式典の際に用いる正装(儀礼服)としての礼服(らいふく)
  2. 平常の宮廷勤めの際に着用する朝服
  3. 下級官吏のための制服

三公服の制度が定められました。

飛鳥時代の武官の朝服では、幅の広いゆったりとした袖の袍(ほう)とよばれる上衣・下はズボン形式の袴を着用していたとされています。

かの聖徳太子の画像と伝えられているものを観察するとわかります。

庶民の服装

女性

女性の服装は、『天寿国繍帳』を見ると、上衣は、丸首で丈長のものを着用し、下半身は、裙/裳(も)の上に褶(ひらみ)を付けていました。

また、左肩から二重のたすきを斜めにかけています。

裙/裳(も)…スカート状の衣服

褶(ひらみ)…ヒダのあるスカート状の衣服

男性

男性は、丈長の上衣に、下衣は、袴(はかま)の上に褶を付たような服装だったことがわかります。

参考:天寿国繍帳

つまり、

  • 女性は、スカートの上に、ヒダのあるスカート状の衣服を着ていた。
  • 男性は、袴(ズボン)の上に、ヒダのあるスカート状の衣服を着ていた。
  • 男女とも上着は、丈長

と言うことになります。

男女とも、褶(ひらみ)を付けていたんだね

化粧

奈良時代の『鳥毛立女屏風』を観察すると、額に花模様を描く花鈿(かでん)、唇の両側に黒点や緑点を描く靨鈿(ようでん)の化粧の存在があったことわかります。

参考:鳥毛立女屏風

花鈿

紅で眉間にさまざまな紋様を描く、中国の特徴的な化粧。

靨鈿

唇の両側に黒点や緑点を描く、中国の特徴的な化粧。



三日月眉・眉・蛾眉

奈良時代末期の『万葉集』には、眉墨で眉を描く眉引きや、三日月眉(みかづきまゆ)や(りゅうび)などの言葉があり、眉を三日月や柳の葉などのように美しくたとえた歌が多あります。

三日月眉・・・三日月のような形の眉

柳眉・・・柳の葉のような形の眉

蛾眉(がび)・・・三日月だがやや太めの眉

この頃にはもう眉の形に対するこだわり(美意識)があったんだね

平安時代

男性の髪形

冠下の髷&烏帽子

平安時代の男性の髪形は、奈良時代から引き続き冠下の髷でした。

かぶりものには、烏帽子(絹地に漆を塗った、やわらかく高く張った帽子)が略服の際に用いられるようになります。

朝廷の人だけでなく、庶民も自由に烏帽子をかぶり、常用するようになりました。

女性の髪形

平安時代の女性の髪型は、髪全体を長く垂らす垂髪(すいはつ)が多かったとされています。

垂髪

髪全体を長く垂らした髪型

鬢枇ぎ

貴族階級の女性は、垂髪の左右の鬢(びん)(頭の側面の髪)の一部を分け目から60㎝くらいのところで切りそぐ鬢枇ぎ(びんそぎ)という儀式を行い、成人女性のしるしとしていました。

当時の成人は、16歳でした。

なぜ垂髪が好まれた?

垂髪が好まれた理由には、以下のような理由があったとされています。

  1. 長い黒髪を尊ぶ文化が発達したから
  2. 人に顔を見せることが、はしたないこととされ、顔を隠すため(顔隠しという)

顔隠しの衣装(被衣・むしの垂衣)

顔を隠すための衣装には、以下のようなものがありました。

  1. 被衣(かづき)…身分ある女性が顔を隠すために頭から被った布
  2. むしの垂衣(たれぎぬ)…市女笠(いちめがさ)のまわりに布を垂らしたスタイル

市女笠とは?

デカ麦わら帽子のようなもの。スゲ(菅)などの材料で編まれた、中央に高く突起を作った笠のこと。

装身具が衰退?

古墳時代は、装身具によって身分や階層が区別されていましたが、奈良・平安時代になると、装身具は見られなくなります。

代わりに、服装により身分や階層が区別されるようになりました。

貴族の男性の服装



平安時代では、遣唐使が廃止されてから、髪形や服装、文化は国風化していき、貴族たちは贅沢を好み、衣服の種類も増え、デザインは華美になっていきました。

貴族たちは、朝廷に出仕する(勤めに行く)ときには、①束帯を着用し、日常着には、②直衣・狩衣を着用していました。

①束帯(宮廷勤め)

朝廷に出仕する(勤めに行く)ときに着用した一般的な朝服は束帯(そくたい)と呼ばれるものでした。

束帯は、中に着物のような服を着て、外側にボリュームのある大きな丸首の服を重ね、袴を着用します。

現在でも神主さんの正装として着用されています。

参考:束帯の画像

②直衣・狩衣(日常着)

貴族の日常着は直衣(のうし)と狩衣(かりぎぬ)でした。

  • 直衣…指貫(さしぬき…裾を紐でくくれるようにした袴)をはき、外衣の色や文様を自由に選んだもの。
  • 狩衣…元々は狩猟用の服装で、脇が開き、袖口がくくれるようになっているもの

参考:直衣の画像

参考:狩衣の画像

貴族の女性の服装

平安時代の貴族女性の公式の正装は唐衣裳(からぎぬも)でした。

唐衣裳とは?

一眼外側に唐衣を着て、その内側に表着袿(うちぎ)、肌着のを何枚も重ねた服装のことを言います。

やがて、唐衣を着て、その内側に表着、肌着の小袖を重ねるようになり、単重(ひとえがさね)と呼ばれるようになり、

平安時代末期には、唐衣裳の内着は5枚と定められ、五衣(いつつぎぬ)と呼ばれるようになり、

江戸時代には、十二単(じゅうにひとえ)と呼ばれるようになります。

【唐衣裳の名前の変化】

唐衣裳⇨単重⇨五衣⇨十二単

唐衣裳と単重の違い

外側 内側
唐衣裳 唐衣 表着
単重 唐衣 表着 小袖

平安時代の庶民の服装

平安時代末期ごろには、狩衣の一種である水干(すいかん)が下級官仕の制服、武士庶民の日常着だったとされています。

平安時代の化粧

平安時代の化粧には、以下のような特徴がありました↓

眉毛を抜き、眉毛を描く

平安時代に入ると、眉毛を抜くようになり、成人のしるしとして、別の太めの眉を額に描くようになります。

お歯黒

歯を黒くする化粧であるお歯黒が行われるようになりました。

  • 平安時代に、貴族階級の女性の成人のしるしとして行われるようになりました。
  • 初期は、女性の間で行われていたが、次第に男性もお歯黒を行うようになりました。

平安時代は、貴族の成人のしるしと言って髪の毛を枇ぎ(鬢枇ぎ)、眉毛を抜き

何かと取っ払う時代!

そのくせ、太めの眉を額に描いたり、歯を黒く塗ったりしたしてなんか謎多き時代ですね