<<チェックポイント>>
文化論では、明治時代・大正時代・昭和時代(戦前)・昭和時代(終戦後)の
- 断髪令と髪型
- 理髪用具の国産化と髪型
- 日常生活の西洋化
- パーマネントウェーブの導入
- 男性髪型の名称
- 女性髪型の名称
- 洋装のはじまり
- 男性社員の服装
- 職業婦人の服装
- 戦時体制と服装
- 流行の流れ
が【重点項目】とされています。要チェックです。
はじめに
昭和の重要な出来事に、1939~1945年の第二次世界大戦があります。
第二次世界大戦は、1939年9月のドイツのポーランド侵入から始まり、1941年12月に日本のアメリカ・イギリスとの宣戦により世界大戦に発展していきました。
そして、1945年(昭和20年)、日本は第二次世界大戦の敗戦します。
これを基点に、文化論の出来事を紐づけてストーリーとして追っていくと覚えやすいです!
大戦中は、戦争にお金や物を使いたいので、贅沢品などを禁止し、髪型や服装を統一する動きがあり、
第二次世界大戦の敗戦後、占領時代が始まると、進駐軍文化が流入し、アメリカの影響を強く受け、戦後のファッションが始まっていくのです。
歴史を学ぶ上で重要なのは、「ストーリー」と「感情」でみること!
それではいきましょう!
*時間のない方は、さいごの総まとめだけみてもOKです!
1940~1950年代の男性の髪形(重要)
戦争中の髪型
1940年頃、第二次世界大戦頃には、贅沢品などを禁止する「七・七禁令」が出され、短時間で短く髪を刈ることのできる非常時の髪形、翼賛型(よくさんがた)三種が政府より推奨されました。
戦後の髪型
1945年 第二次世界大戦の敗戦後は、
- リーゼントスタイル
- GI刈
- 慎太郎刈
などがありました。
①リーゼントスタイル
1948年ごろから爆発的にリーゼントスタイルが流行しました。(重要)
・・・アメリカから伝えられ、戦前のリーゼントとはまた異なる形・アロハシャツとの組み合わせで若者に受け入れられていきました。
1933年にも都市部でリーゼントは流行っていますが、当時は戦争もあり、およそ10年間政府によって禁止されていました。
【参考】
1931年 満州事変
1937年 日中戦争(ここでリーゼント、パーマネントウェーブなどが禁止される)
②GI刈
アメリカ兵の髪形を真似た角丸型の短髪のスタイル。
細いジーパンなどを合わせていました。
③慎太郎刈
石原慎太郎の髪形を真似た髪型
1940~1950年代の女性の髪形(重要)
1945年の第二次世界大戦の敗戦後は、戦時中に禁止・抑制されてきたおしゃれへの欲求が女性の間で一気に爆発しました。
1945年の第二次世界大戦以降の髪型には、
- パーマネントウェーブ(電熱式→コールド)
- ヘップバーンカット
- ポニーテール
- セシールカット
- アイパー
などがありました。
このうち、②ヘップバーンカット・③ポニーテール・④セシールカットは映画の影響で流行したのでスクリーンファッションと呼ばれています
①パーマネントウェーブ
1945年の第二次世界大戦の敗戦後、まず流行したのはパーマネントウェーブでした。
最初は、1930年後半に普及した電熱式パーマネントウェーブが再び現れ、
次に、アメリカの進駐軍文化により、常温で薬剤を用いて行うコールドパーマネントウェーブへと移行していきました。
②ヘップバーンカット
1954年、アメリカ映画『ローマの休日』が上映され、主演のオードリー・ヘップバーンの髪形であるヘップバーンカットが大流行しました。(重要)
これは、王女のヘップバーンがショートカットに短く断髪することで王女としての日常から解放される様子を表した内容で、戦後の女性の意識と共鳴し、流行していきました。
③ポニーテール
1955年、アメリカ映画『月蒼くして』が上映され、主演のマギー・マクナマラのポニーテールが話題となりました。(重要)
後頭部で束ねた毛束を子馬(ポニー)のしっぽのように垂らしたスタイルです。
④セシールカット
1957年、アメリカ映画『悲しみよこんにちは』のヒロイン、セシールを演じたジーン・セバーグの登場により、セシールカットが流行しました。(重要)
頭髪全体を極端に短くしたスタイルで、短いボーイッシュボブの典型です。
⑤アイパー
1959年、日本人特有の硬毛を処理する技術として、コールドパーマネントウェーブとアイロンの両方の性質をもったアイパー(アイロンパーマ)技術が発表されました。
まとめ
1945年の第二次世界大戦以降では、スクリーンファッションなどの影響もあり、社会的にも非難されていた断髪によるショートカットも少しずつその姿を受け入れられていきました。
スクリーンファッション | 1954年 | ②ヘップバーンカット |
1955年 | ③ポニーテール | |
1957年 | ④セシールカット |
セットで覚えましょう!
1954年 ヘップバーンカット
1955年 ポニーテール
1957年 セシールカット
1959年 アイパー
1940~1950年代の化粧
1940年代
第二次世界大戦直後では、アメリカ進駐軍の影響を受けて、真っ赤な口紅とアイシャドーのメイクがごく一部であらわれました。(重要)
一般的なメイクは、コールドクリームを下地に塗り、粉おしろいをはたくナチュラルで薄めのメイクでした。
第二次世界大戦後メイク | ごく一部 | 真っ赤な口紅とアイシャドー |
一般的 | コールドクリーム下地&粉おしろい系ナチュラル |
出来事
1940年代には以下のような出来事があります。
- 1947年 油性のクリームファンデーションが登場
- ベースメイク用品の呼び名が「おしろい」から「ファンデーション」という表現に変化
1950年代
1950年代では、1957年頃にカリプソメイクが話題になります
カリプソメイクとは?
カリプソメイクは、西インド諸島(北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の間にある島々)の民族の人に似せたメイクで、以下のような特徴があります。
【特徴】
- 褐色のファンデーション
- 濃いアイラインやアイシャドーで眉と目にアクセントを置く
- コーヒーブラウンのリップカラー
- 金髪または茶髪
出来事
1950年代には以下のような出来事があります。
- 油性のスティックファンデーションが登場
- ピンクのベースメイクアップが流行
1940~1950年代の服装
戦争中の服装規制・統一
第二次世界大戦中の1940年(昭和15年)になると、軍服をモデルに男性の国民服がつくられました。
また、1942年(昭和17年)には女性の標準服が制定され、もんぺが広く着用されました。
ぜいたくは敵とされ、高級衣料の使用が禁止され、終戦時まで苦しい衣生活を強いられていました。
戦後の服装について
1940~1950年代の服装のキーワードは次の5つです!
- ロングスカート
- ダンスホール(マンボズボン&落下傘スカート)
- サックドレス
- カリプソファッション
- ジーンズ
①ロングスカート
1947年春のパリコレでクリスチャン・ディオールがニュールック(新流行スタイルのお披露目)でロングスカートを発表しました。
フランスのパリから、アメリカを経由し、1年遅れの1948年ごろにアメリカンファッションの影響を受け、膝丈より長めのロングスカートが日本で流行しました。(重要)
②ダンスホール(マンボズボン&落下傘スカート)
1956年 ダンスホールに集まる男性は、細身のマンボズボン、女性は、ウエストを細く絞り、ペチコート(スカートの下に着用する女性用の下着)でパラシュートのように大きく膨らませた落下傘スカートのスタイルでした。
③サックドレス
1958年、パリコレ(フランス)で多くのデザイナーがサックドレスを取り上げました。
サックは、「袋」という意味があり、シルエットは筒状で変な格好だと当時のマスコミに揶揄され、本場オートクチュールでは不人気でしたが、日本では大流行しました。
④カリプソファッション
1957年、日本劇場の影響で、カリプソファッション(西インド諸島の民族の人に似せたファッション)が話題となりました。
【特徴】
- キャミソール&七分丈のマンボズボンを着用
⑤ジーンズ
1958年にジーンズが若者の間で大流行しました。
1960年代のヒッピーファッションにつながっていきます。
1940年代の出来事総まとめ表!
1940年代の主な出来事 |
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1950年代の出来事総まとめ表!
1950年代の主な出来事 |
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総まとめ問題
第2次世界大戦後の男性の髪型に関する次の文章の( )内に入る語句として、 正しいものはどれか。
男性の髪型においては、戦後の混乱期から脱して、まず、1948年ごろから爆発的に( )が流行した。
(1) 慎太郎刈
(2) リーゼントスタイル
(3) オールバック
(4) GI 刈
正解(2)