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文化論

2.日本の理美容業の歴史 まとめ

理美容業の誕生(室町時代)

理容業の始まりは?



髪結床(かみゆいどこ)

武士の頭頂部を半月の形に剃って整える髪結床(かみゆいどこ)が理容業の先駆けとして、室町時代末(1550年ごろ)の京都で現れました。

室町時代末です!江戸時代とのひっかけに注意しましょう!

月代(さかやき)

頭頂部を半月の形に整えた髪型を月代と言います。

月代に作る風習は、貴族が冠や烏帽子をかぶるとき、頭が蒸れるので、額の髪を半月の形に剃ったことから始まり、それが武士の間にも起こり、やがて庶民にも広がっていったとされています。

月代を作る際、室町時代末は木鑷(げっしき)とよばれる木製の毛抜きのようなもので髪の毛を挟んで抜いていました。(重要)

痛々しいですね。。。

その後、豊臣秀吉の時代(安土桃山時代)になると抜かずに剃って月代を作るようになります。

室町幕府は、京都にあり、足利尊氏が開きました。

この後、織田信長・豊臣秀吉(京都・大阪など)の時代を経て、徳川家康の江戸幕府(東京)に移っていきました。

月代に関係の深い部分

  • 髻(もとどり)とは、髪を頭の上に集め束ている所・または、ひも(元結)で巻き立てられた髪型のことをいいます!(「冠下のや、「たぶさ」など丸まっていない髪型)
  • 髷(まげ)とは、髻を頭上で丸く束ねた髪型です!
  • 元結(もとゆい)とは、髻を結い束ねるための「ひも」のことをいいます!(重要)

髪結床(かみゆいどこ)が理容業の先駆けとして、室町時代末(1550年ごろ)の京都で現れた。

江戸時代の理美容業

江戸時代の理美容業は、どう変化した?



江戸時代の理美容業は、以下の二つがありました。

  1. 女髪結・・・幕府からは未認可で家を廻って髪を結うもの
  2. 髪結床・・・幕府から公認され営業を行うもの

①女髪結

江戸時代には、女性の髪を結う女髪結(おんなかみゆい)が現れました。

この女髪結いこそまさに今の美容師の原点ともいえます!

女髪結は、幕府からは未認可で家を廻って、遊女・役者などの仕事のために有料で髪を結っていたとされています。

なんとその価格は当時の5000円程度とされています。現在とあまり変わりませんね…

女髪結いの誕生により、髪形はさらに技巧的になり、華美になっていきました。

しかし、幕府に財政難の危機が訪れると、幕府は武士や町人に対し、奢侈禁止令(しゃしきんしれい)を出し、女髪結いを禁止し、女髪結いをしたものに罰を与えるようになります。

それでも、女髪結を諦めずやる者も多く、女髪結いと幕府の争いは明治維新頃まで続いていきました。

奢侈禁止令とは?

贅沢を禁止し、倹約に努めるよう推奨もしくは強制する法令。

江戸時代では、税金(年貢)として米を納めさせていました。

贅沢品嗜好品の需要が増え、値段が上がると米の価値は相対的に下落してしまいます。

なぜかというと米は、食べる量が変わらないので需要の上下があまり無く、値段が変わらないのに対して、贅沢嗜好品は需要の高まりによって値段が上がるからです。

そうすると米での税を基本とする幕府の歳入も相対的に下落してしまうのです。

それを嫌がって幕府は、奢侈禁止令を抱いたのではないでしょうか?

それか、贅沢品嗜好品の商売を行う者がお金を稼ぎ、権力を持つことを恐れたか…?

真相はいかに!

②髪結床(重要)

内床・出床・廻り髪結い

髪結床にはその特徴により3種類ありました。

  1. 内床(うちどこ)・・・町内に床(店)を構えて営業するもの。(重要)
  2. 出床(でどこ)・・・河岸の空き地や橋のたもとに床を構えるもの。
  3. 廻り髪結い(まわりかみゆい)・・・床を持たずに鑑札(営業許可証のようなもの)を持って客のところに出張するもの。(重要)

未認可で髪結を行う者に対しての法令?

江戸時代に、未認可で髪結を行う者に対して、町々髪結名前書上之事(まちまちかみゆいなまえかきあげのこと)と言う法令が出されました。

1655(明暦元)年に出された江戸幕府の法令で、「髪結いを業とする者は、すべて名前を書き上げて幕府に申告するようにしなさい」という内容でした。(重要)

1640年に、髪結が幕府に札銭(お金)を払って鑑札(営業許可証)をもらい、幕府に許可を得て営業するようにと、髪結鑑札制度が作られたのですが、鑑札を持たずに営業する人が多かったので、幕府より出されました。

明治時代の理美容業

明治時代の理美容業は、どう変化した?

髪結が理髪師へ

明治維新後(1868年~)、以前までの髪結職は理髪業へと変革していきます。

政府は、風習を否定し、率先して西洋化を進めていきました。

1868年頃、女性は、お歯黒・眉剃りをしなくてもよいとされ、1871年には断髪令が出され、男性は月代、髷を作る髪型が否定され、散髪が奨励されました。

断髪令などの結果、必要とされる技術も変わり、髪結職は理髪業と移り変わることになります。

教育

1906年には、大日本美髪会が発足し、理容美容学校の設立や講習会の実施などが行われるようになりました。

大正時代の理美容業

大正時代の理美容業は、どう変化した?



女髪結から美容師へ

大正時代(1912年~)になると女髪結に「美容師」という表現が加わることになりました。

教育

大正から昭和にかけて、東京・大阪・愛知・京都・兵庫などに美容講習所や美容・美髪学校が多数設立された。(重要)

昭和時代の理美容業

昭和初頭に入ると、「理容」という言葉が誕生し、理容という言葉は近代美容術を加味したものとして使われはじめました(重要)

また、理容・美容の需要も急速に増大し、理容所・美容所の数も増加していきました。

昭和時代の理美容業は、どう変化した?

理容師法・美容師法の誕生

昭和時代では、制度を整備し、第二次世界大戦後(1945年頃)の経済復興と生活水準の向上をはかるために、理容師法・美容師法が策定されました。

大まかな流れは、以下の通りです↓

1947年 理容師法誕生(理容業と美容業のどちらも包括した内容)

1951年 理容師法の名称が理容師美容師法になる

1957年 美容師法が独立(理容師法と美容師法に分かれた)

総まとめ問題

結床の誕生に関する次の文章の(  )内に入る語句として、正しいものはどれか。

理容業の前身、髪結床が町中にみられるようになるのは(  )時代末ごろ、京都においてといわれます。

(1) 平安

(2) 鎌倉

(3) 室町

(4) 江戸

正解(3)

日本の理容業・美容業の歴史に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。

(1) 元結とは、ひもで束ねた髷のことをいう。

(2) 江戸時代町内に床(店舗)を構えて営業するものを内床とよんだ。

(3)「町々髪結名前書上之事」は、1655(明暦元)年に出された江戸幕府の法令で、 結いを業としている者は、すべて名前を書き上げて申告するように、という趣旨である

(4) 江戸時代、床(店舗)をもたずに、親方のところから鑑札を持って客のところに出張する者は、「廻り髪結い」とよんだ。

正解(1)・・・元結とは、髻(もとどり)を結い束ねるための「ひも」のことをいう。

日本の理容業・美容業の発生から近代化に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。

(1) 髪結床が発生したころの男性は頭頂部を月代にしていた。

(2) 月代にする風習は武士の間に起こったものです。

(3) 大正から昭和にかけて東京、大阪、愛知、京都、兵庫などに美容講習所や美容・美髪学校などが多数設立された。

(4) 「理容」という語は昭和初頭から、近代美容術をまったく加味しないものとして使われはじめた。

正解(4)・・・「理容」という語は昭和初頭から、近代美容術を加味したものとして使われはじめた。