その他

19.西洋(1970~2010年代) まとめ

1970年代

1960年代の激動を経て、1970年代はさらに民族衣装への関心が高まった。

  • それは、西洋を手本としてきた旧来の価値観への反抗であったともいえます。

一方、日本では「ディスカバー・ジャパン」などのコピーが流行し、ファッションにおいても日本らしさの探求が始まった。

  • そして、それは世界的な支持を得ることになります。



1970年代の男性の髪形

コーンロースタイル

コーンロースタイルとよばれる、エスニック感覚のヘアスタイルが流行した。

  • アフリカの黒人が発祥。
  • レゲエ音楽が世界的に広まるにつれて流行した。
  • 髪の毛を少しずつ取り分け、細くて固い三つ編みにして、その先にはカラフルなビーズを飾りとして通しています。
  • 編んだ部分が、とうもろこしの粒が並んだようにみえるので、この名称が生まれた。

ドレッドヘア

日本ではドレッドヘアとよばれているが、本来はドレッドロックスという髪形も流行した。

  • ジャマイカ発祥
  • 自然を大切にし、黒人のアフリカ回帰と黒人の復権を願うグループの人たちの独特なヘアスタイルをまねたもの。
  • 縮れ毛の固い三つ編みのまわりにさらに毛を巻き付け、表面を軽くあぶってちりちりにさせて、固い縄状につくりあげたものを並べた髪型です。

パンクヘア

1976年にロンドンで結成されたセックス・ピストルズの過激なロックがパンクロックとよばれ、そのメンバーの特異な髪型はパンクヘアと称された。

  • パンクはスラングで、「臆病者、腰抜け、チンピラ」などの意味。
  • 反社会的・反体制的な攻撃性の強い反抗精神の表現であった。
  • その髪型はさまざまで、1960年代に登場したモヒカンカット、派手な染色、模様を刈り込んだ丸刈り、ローションや砂糖水で逆立てた毛髪を固めたものなどがあった。
  • 髪を逆立てたものが多く、怒りや異議申し立てのシンボルとみられます。

1970年代の女性の髪形

セックス・ピストルズのプロデューサーの妻、ヴィヴィアン・ウエストウッドは、当時、ロンドンのワールズ・エンドという所で「セックス」という名のブティックを営んでいた。

1970年代後半に登場したレイヤードカットは、日本では段カットともよばれた。

  • レイヤードとは重ねるとか層をつくるという意味で、上の方は短めで、下にいくにしたがって層をなして長くカットしていったもの。
  • 全体の髪の毛の長さでショートレイヤー、レイヤーボブなどの名称も生まれた。

このころから、世界的に若者の間でサーフィンブームが到来した。

  • 後ろを長めにして、サーフィンをしたとき、髪が自然に風になびく風情をねらったもので、このスタイルをサーファーカットとよんだ。
  • レイヤードカットの1つで、ウルフカットとよばれるものがあります。
  • 襟足の部分をサーファーカットより長くし、全体にレイヤーをワイルドにイレギュラーに処理して、オオカミのたてがみのようにみせています。

レイヤードカット(段カット)

1970年代後半に登場したカット技法。日本では段カットともよばれた。

  • 上の方は短めで、下にいくにしたがって層をなして長くカットしていったもの。
  • 全体の髪の毛の長さでショートレイヤー、レイヤーボブなどの名称もあります。

サーファーカット

1970年代に流行したレイヤードカットを用いた髪型。

  • 後ろを長めにして、サーフィンをしたとき、髪が自然に風になびく風情をねらった髪型。

ウルフカット

1970年代に流行したレイヤードカットを用いた髪型。

  • 襟足の部分をサーファーカットより長くし、全体にレイヤーをワイルドにイレギュラーに処理して、オオカミのたてがみのようにみせた髪型。



1970年代の服装

プレタポルテ・コレクション

1970年代には創造性やファッション性の極めて高いプレタポルテを専門とするデザイナーや企業が数多く登場します。

  • オートクチュールの注文仕立てよりも、すぐに手に入れられる既製服への需要が増えたことを意味します。
  • 1973年、パリ・オートクチュール組合はプレタポルテのデザイナーと協同して、「クチュリエのプレタポルテとモードの創造者のプレタポルテの組合」を設立し、注文仕立て、既製服にかかわらず、ファッションの創造を目的とする集団であるという認識を明らかにした。

1970年代になると、プレタポルテ(既製服)のコレクションも活発になってきた。

  • オートクチュールのコレクションは、上流階級や富裕階級の個人客を相手に、オーダーメイドの注文をとることを目的に、新しいデザインのサンプルをショー形式で発表するイベントであった。

これに対してプレタポルテのメーカーのビジネスは、一般の人々に、商品として量産して提供することであり、商品の販売先は小売店であった。

  • コレクションはオートクチュールの時代よりも大規模なイベントとなっていった。
  • また、オートクチュールは事実上パリコレに集中しているのに対し、プレタポルテはパリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨークと、それぞれの歴史を背景に多様なファッション情報を発信しています。
  • プレタポルテのコレクションでは、3月にその年の秋冬もの、10月に翌年の春夏ものを発表します。

1970年にパリにおいて、数名の既製服デザイナーがプレタポルテの初めてのコレクションを開いた。

高田賢三・三宅一生

その数名の中の一人が、日本人デザイナー、高田賢三(ケンゾー)です。

  • 翌年の1971年に高田が開店した「ジャングル・ジャップ」の商品は、日本の着物の生地や模様を用いたエスニックなスタイルで人気を集め、雑誌『エル』に掲載され、たちまち名声を確立した。
  • 彼の木綿の扱いの素晴らしさから、同誌は彼を「木綿の詩人」とよんだ。
  • 生地や模様だけではなく、高田のデザインや裁断方法には、洗練されたパリ・モードにはない、異国的・民族的、かつフォークロアの要素が豊かに取り入れられた。
  • 日本の着物の直線的な裁断方法、ヨーロッパの農民服の素朴な味わいの生地や、ゆったりとしたシルエットなど、あまりにも身近で忘れられていた魅力が、ファッションの世界に引き出されたのです。

1970年の三宅一生(イッセイ)の作品は、マスコミに「洋服ばなれ、「サンクチュール」などと呼ばれた。

サンクチュール

「裁縫されていない」という意味。

やまもと寛斎・森英恵

1970年代においては、やまもと寛斎(かんさい)がジャポニスムの作品を発表しています。

  • クラシック派の大御所であるサン・ローランをはじめ、多くのデザイナーたちも、盛んにエスニックファッションを手がけていた。

戦後日本のファッションをリードしてきた森英恵(もりはなえ)は、1965年にニューヨークで初の海外コレクションを開催しています。

  • 日本的な美意識をヨーロッパの伝統から生まれた洋服に見事に融合させて、「東洋と西洋の出会い」と評された。
  • 1970年代、プレタポルテの中でも、オートクチュールは創造性や伝統技術に関して引き続き名声を維持していた。
  • 森英恵は1977年、唯一の東洋人として、そのパリ・オートクチュール組合に加盟が許された。
  • ここから世界のファッションが、パリだけではない新しい美のあり方を求めていた当時の状況も伺えます。

1980年代

1980年代には、1970年代を通してトップファッションにはエスニックルックがみられた。

  • しかし1970年代の終わリごろになると、工スニックテイストのファッションに新鮮味がなくなってきた。
  • そして1980年代を迎えるころには、オーソドックスな洋服を見直そうという風湖が現れてきた。

1980年代の髪形

ダイアナカット

1つ目は、ダイアナカットです。

  • レイヤードカットのショートヘアで、前髪を左から右へと四分六に分けて流し、分け目をはっきりさせず優雅な趣を保った、イギリスの皇太子妃であったダイアナの婚約時代のヘアスタイル。
  • 1980年代初期に世界中に流行した。

ソバージュヘア

2つ目は、1980年代前半に流行したソバージュヘアとよばれるスタイルです。

  • ソバージュはフランス語で「野性」とか「自然に」といった意味をもつ。
  • 全体に細かく大きめのウエーブをつけて、文字どおり野性的で無造作な感じに、しかも女性らしくエレガントに仕上げたものです。
  • 1960年代のカーリーヘアに似ているが、カーリーは、ソバージュよりもウエーブが細かい。

ワンレングスカット

3つ目は、ワンレングスカットとよばれて、1980年代後半に流行したものです。

  • レイヤーカットと違って、ストレートな髪の毛先を前後水平に切りそろえて、長さ(レングス)を1つ(ワン)にしたところからのネーミングです。
  • ワンレングス、ワンレンと略称されます。
  • 髪の長さはいろいろで、ボブ・ショート・ロングそれぞれにみられます。
  • 我が国ではもっぱらロングのスタイルが注目され、服のボディコンスタイルとセットになって「ワンレン・ボディコン」とよばれて、セクシーなフェミニン感覚の代名詞になりました。



1980年代の服装

ニュークチュール

1970年代のカジュアル化傾向やエスニックスタイルに対して、オーソドックスな洋服の美しさを見直す傾向が生まれてきた。ニュークチュールとよばれる系統です。

  • ジバンシーなどのようなオートクチュール系のクラシック路線のデザイナーたちが、1950年代以来保ってきたものでもあった。
  • 1979年のモンタナのマリンルックは、単なるカジュアルファッションではなく、ワイドショルダーの美しいシルエットを構築しようとしているもので、新しい洋服としての造形的構築をねらったものと評価されていた。
  • モンタナのほかに、ミュグレも登場してきており、2人は2Mとよばれて、洋服の復権を担う新進デザイナーとして注目された。
  • イタリアのアルマーニも、1980年以降、ソフトでありながらシルエットのしっかりとしたスーツのデザインで評価を得た。
  • トップファッションのトレンドや女性の社会進出傾向の高まりを背景に、マスファッション・ビジネスの分野では、スーツやジャケットにスポットが当てられ、インナーにTシャツやニットを組み合わせたフェミニンなジャケットの着こなしも広がった。

ボディーコンシャスなファッション

1970年代のエスニックや東洋的なスタイルでは身体表現が控えめであったのに対して、1980年代に注目を浴びたのが、ボディーコンシャスなファッションです。

  • これは体を意識するという意味で、体の形を強調して表現するデザインを指し、ゴルチエやアライアらのデザイナーがこのトレンドを打ち出した。
  • 伸縮性のある素材、コルセットなどの下着スタイル、ボンデージなどが用いられた。
  • 社会における女性の進出の気運が高まった中で、性差別ではなく、それぞれの性の魅力をアピールする時代になったともいえます。
  • 体という、誰もが持っている素材が、ファッションにとって重要なモチーフになったのです。

川久保玲・山本耀司

コム・デ・ギャルソン(川久保玲)とヨウジ・ヤマモト(山本耀司)は、すでに1970年代に日本でそれぞれ独自の活動を続けていたが、1982年からパリコレに参加した。

  • 両者とも、アートテキスタイルとよばれる工芸的な凝った素材を使用し、色彩を抑えて黒・白・グレーといったモノクロ(無彩色)を好んで用いています。
  • こうした素材や穴あけ、布を巻き付けた構成などは、伝統的洋服を判断の基準に置く一般の人たちから見れば非洋服的であり、民族服的でもあり、さらにはボロをまとったようでもあった。
  • しかし、2人のパリ進出は、マスコミに「東からの衝撃」「黒の衝撃」などとして取り上げられ、東洋的または日本的感覚が指摘され、欧米の若いクリエイターたちに強い影響を及ぼした。
  • このような作品を実際に購入して日常身につける人はごく限られた職業や嗜好の人であり、TPOも限定されてきます。
  • しかし彼らはファッションをアートとして捉え、ファッションを創作の場とし、そこに美意識や思想上のメッセージを託すことを意図したのです。
  • こうした前衛的でアーティスティックなファッションがマスコミに大きく取り上げられれば、結果としてそれぞれのポピュラーなレベルの製品販売のためのブランド戦略につながっていく。
  • ここにはアートとビジネスの双方を視野にいれた、したたかな企業活動が指摘されます。
  • こうした三者三様のファッションヘの取り組み方は、21世紀の今日まで継続されています。

1990~2010年

1990年代は、国や政治・経済の大きな枠組みが崩れた時代であった。

  • 1980年代末にベルリンの壁が崩壊し、次いで湾岸戦争やソビエト崩壊が起こります。
  • 人々は、これまでになく多様な価値観の中を生きなければならなくなり、その多様さがファッションに反映されることとなりました。

1990~2010年代の服装

1990年代の服装の中で際立っていたのが、

  • アバンギャルド
  • エスニック
  • モダン・クラシック
  • ニュークチュール

の系列です。

アバンギャルド

・・・最先端、前衛的といったニュアンス。由来は、先陣を切って敵に奇襲を仕掛ける「avant-garde」というフランス語の軍隊用語からきています。

  • 1992年春夏のシャビー(粗末な)ルックとよばれたコム・デ・ギャルソンの作品に代表されます。しわだらけのジャケットは表地を剥いで裏をみせ、パンツは裏返したように左右の脇に縫いしろをひらつかせています。
  • しかし、ただのボロルックではなく、襟やポケットなどの部分はきちんと仕上げられています。
  • また右の足首に写し絵で入れ墨の効果を出しています。
  • 多くの人はこの作品を見てショックを受けます。「まともな服じゃない。一体、どんなつもりで作っているのか。」まさにフリーク(気きぐれ、奇人、異装)ファッションなのです。



エスニック

・・・民族風(アフリカ・中南米・アジアなど)という意味。

  • 1994年秋冬のヨウジ・ヤマモトのジャポニスム(日本風エスニック)があげられます。
  • ヨウジは時にこの作品よりもさらに前衛的な扱いのこともあります。

モダン・クラシック

モダンは、現代的。クラシックは、古典的という意味。

  • 1950年代からのオーソドックスな洋服の美学が、モダンにアレンジされて生き続けているものを指す。
  • パリ・オートクチュールやミラノのプレタポルテにみられることが多い。
  • 1995年春夏のラクロワの作品がその例です。

ニュークチュール

1970年代のカジュアル化傾向やエスニックスタイルに対して、オーソドックスな洋服の美しさを見直すもの。

  • モダン・クラシックをより現代的に発展させたもので、ときにはかなり前衛的に傾くこともあります。
  • 1996年秋冬のヨウジの作品で、計算されたソフト・テーラードのカッティングがみられます。
  • ゴルチエやウエストウッドの作品はかなり奇抜で大胆なデザインがみられるが、やはりこの系列と思われます。

ファストファッション

1980年代末期のバブル経済崩壊以降の不況の中で迎えた1990年代から、ファストファッションに注目が集まった。

  • 安く手軽で、すぐに食べられるファストフードになぞらえた造語で、その名のとおり、安く気軽に手に入れ易いファッションのことです。
  • 多くは世界規模の市場をもち、大規模な生産・販売を合わせて行う企業によって作り出されているが、その代表例がスウェーデンのH&M、スペインのZARA、アメリカのGAPやFOREVER21などで、我が国のUNIQLOもその1つです。
  • これらの商品は富裕層だけではなく、幅広い階層にファッションを身近に感じさせることに成功しています。
  • 他方で、安価な商品製造には、開発途上国の労働力を利用していること、衣服の消耗品化を進めることなど、グローバルな生産・消費態勢が生み出す問題も抱えています。

総まとめ問題

古代エジプトやギリシャのファッション文化史に関する次の記述のうち、間違っているものはどれか

(1) 古代ギリシャでは、かつらは上流階級のシンポルであった。かつらは、長頭型の大きいもので人毛羊毛・しゅろの葉の繊維などを材料とした。

(2) 古代エジプトは体を清め、肌を滑らかにするための香油づくりに、すぐれた技術をもっていた。

(3) 化粧品は英語でコスメティック(cosmetics)であるが、その語源は「整った」 や「秩序だった」という意味をもつギリシャ語の Kosmos に由来しています。

(4) 古代ギリシャでは、ドレスは薄手のウール地や精巧な、織りのリネンが使用された。

 

正解(1)・・・古代エジプトでは、かつらは上流階級のシンポルであった。かつらは、長頭型の大きいもので人毛羊毛・しゅろの葉の繊維などを材料とした。

中世から近世のヨーロッパにおけるファッション文化史に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。

(1) 中世初期から13世紀ごろまで、女性のヘアスタイルやメイクは、教会により華やかにすることが求められた。

(2) 12世紀後期にはウィンプルとよばれる首元を覆う布がペールとともに用いられるようになりました。

(3) 14世紀後半から15世紀中ごろに英仏両国では理髪部たちの同業組合が作られた。

(4) 16世紀後半になると、頭髪の薄くなった男性にはかつらの使用がみられ同時に ベレー帽タイプのかぶり物が流行した。

 

正解(1)・・・中世初期から13世紀ごろまで、女性のヘアスタイルやメイクは、教会により控えめにすることが求められた。

16〜17世紀ころのヨーロッパにおけるファッションや髪型などに関する次の記述のうち正しいものはどれか

(1) 中世末期に流行した広い額と薄い層は、16 世紀初期には一切見られなくなります。

(2) 16世紀の男性の髪型は、ラブロックとよばれる、カールさせた一房の長い巻き毛に蝶結びのリポンを付けて前に乗らすスタイルが主流であったが、17世紀初頭には短髪が流行しはじめた。

(3) 16世紀のヨーロッパでは、入浴は体に害があると信じられている傾向があり、しだいに入浴の習慣は衰えをみせ、それにより、体臭を意識して、頻繁な着替えが行われた。

(4) 17世紀後半には、髪やかつらに色の髪粉をかけることが流行した。

 

 

正解(4)

(1) 中世末期に流行した広い額と薄い層は、16 世紀初期まで好まれた。このスタイルには、フェロ二エールという鉢巻状の髪飾りが人気だった。

(2) 16世紀の男性の髪型は、短髪が主流であったが、17世紀初頭にはラブロックとよばれる、カールさせた一房の長い巻き毛に蝶結びのリポンを付けて前に乗らすスタイルがが流行しはじめた。

(3) 16世紀のヨーロッパでは、入浴は体に害があると信じられている傾向があり、しだいに入浴の習慣は衰えをみせ、それにより、体臭を意識して、香水への欲求が高まっていった

(4) ◯



16〜18世紀ころのヨーロッパにおけるファッションや髪型などに関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。

(1) 17世紀後半に評判となった女性のヘアスタイルの1つはユルリュ・ベルリュで、派手ならせん形の巻き毛や縮れ毛の房をサイドにあしらったスタイルです。

(2) フランス革命後、女性の髪型は革命前のような巨大なスタイルはなくなり、古代ギリシャ・ローマ風のスタイルが流行した。

(3) 1760年代以降、驚くほど高くて大きい髪型が登場し、18世紀末まで続いた。土台として針金の骨組み、馬毛や綿で作られたかつらが使用された。

(4) 16 世紀中ごろから 18 世紀末にかけて、上流の男性の間で、顔面のつけぼくろが流行したが女性には一切流行しなかった。

 

正解(4)・・・16 世紀中ごろから 18 世紀末にかけて、上流の女性の間で、ときには男性にまで顔面のつけぼくろが流行した。

20世紀の西洋のファッション文化に関する次の記述のうち、正しいものの組み合わせはどれか。

a. 初期のパーマネントウエーブは、熱を必要とせず、チャールズネッスラーによって発明された。

b. 1950年代半ばに入るとオートクチュールはさらに市場開発をめざして、注文服、いわゆるプレタポルテの製造を始めた。

c. 1920年代に、歴史上初めて「日焼け色」がファッションになっています。

d. 第2次世界大戦後最初の本格的ファッションとなったのが、1947年のディオールの「ニュールック」であった。

(1) aとb (2) bとc (3) cとd  (4) aとd

 

正解 (3)

a・・・初期のパーマネントウエーブは、熱を利用する方法で、チャールズネッスラーによって発明された。

b ・・・1950年代半ばに入るとオートクチュールはさらに市場開発をめざして、既製服(衣料業者が商品化し大量生産した、既に作られた衣料品のこと)、いわゆるプレタポルテの製造を始めた。

18世紀末〜19世紀初頭の西洋のファッション文化に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。

(1) 18世紀前半のフランス宮廷の女性には、静脈を青色でなぞって強調することが流行した。

(2) フランス革命後の女性の髪型は古代ギリシャ・ローマ風のスタイルが流行した。

(3) 18世紀後半の上流の女性の髪は、といたり、櫛を入れたり、洗ったりすることはできなかった。悪臭は香水でごまかしていた。

(4) フランス革命後の男性の髪型には、貴族階級にみられた長いスタイルやかつらが引き続きみられた。

 

正解(4) ・・・フランス革命後の男性の髪型には、貴族階級にみられた長いスタイルやかつらがみられなくなった

18世紀末〜19世紀の西洋のファッション文化に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。

(1) シニョンとは、女性の後頭部につける飾りのことです。

(2) 19世紀初期のヨーロッパでは、女性のヘアスタイルは簡素なものが好まれた。

(3) 18世紀末から19世紀中ごろまでのヨーロッパでは、各地でシルクハットがかぶられていた。

(4) フランス革命後の男性のファッションの大きな変化は、タイツのように細い長ズポンになったことです。

 

正解(1) ・・・シニョンとは、女性の後頭部につける洋風の髷のことです。

17〜18世紀のヨーロッパにおける髪型に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。

(1) 17世紀後半に評判となった女性の髪型のユルリュ・ベルリュは、前、両横の毛をカットして焼きごてなどを使って、派手ならせん形の巻き毛や縮れ毛の房をサイドにあしらったスタイルです。

(2) 17世紀後半に評判となった女性の髪型のフォンタンジュ風はレースのリボンを前髪で結ぶのが特徴であった。やがては、針金の骨組みを入れて高くしたものとなり、レースもフリルにたたんだものを何段も重ねて高々と飾り付けるようになりました。

(3) 1760年代以降、驚くほど高くて大きい女性の髪型が登場した。土台として、針金の骨組み、馬毛や綿で作られたかつらが使用された。

(4) 18世紀の男性のかつらである結びかつらは、テールの部分を襟足のところで折り返して輪にし、ひもや蝶結びのリボンで留めたものであり、前髪を高く上げているのも特徴です。

 

正解(4) ・・・カドガンは、テールの部分を襟足のところで折り返して輪にし、ひもや蝶結びのリボンで留めたものであり、前髪を高く上げているのも特徴です。結びかつらは、髪を首の後ろでまとめて黒いシルクのリボンを結んだものです。



19世紀末〜20世紀初頭の西洋のファッション文化に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。

(1) 20世紀初頭にはマーセルウエーブがより普及し、髪の分け方の人気が中央分けから横分けに移った。

(2) 19 世紀末に上流階級の男女にサイクリングが流行したため、女性は当時では画期的なキュロットをはいた。

(3) 20世紀初頭には、前髪を巻き毛にしたスタイルのポンパドールを誇張したものが、上流階級の女性に流行した。

(4) 1920年代に歴史上初めて日焼け色がファッションとなりました。

 

正解(2) ・・・19 世紀末に上流階級の男女にサイクリングが流行したため、女性は当時では画期的なブルーマーズをはいた。

20世紀の西洋のファッション文化に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。

(1) 1930年代、映画スターであったマレーネ・ディートリッヒやグレタガルボなどに好まれて流行したヘアスタイルは、サーティーズスターコワフとよばれた。

(2) 初期のパーマネントウエーブは、電気による熱を利用する方法で、マーセル・グラトーによって発明された。

(3) 戦時中の1916年、シャネルはウールジャージィを使って女性用のドレスを仕立てた。

(4) ロンドンの美容師ヴィダルサスーンは、ミニスカートで有名になったデザイナー、 メアリークワントの1963年のコレクションでジオメトリックカットを発表した。

 

正解(2) ・・・初期のパーマネントウエーブは、電気による熱を利用する方法で、チャールズ・ネッスラーによって発明された。