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18.西洋(1940年代後半~60年代) まとめ

1940年代後半~50年代

1940年代後半~50年代の髪形(重要)

パーマ

第2次世界大戦後の1940年代後半から1950年代初期にかけて、常温でのコールドパーマネントウエーブが普及した。

1950年代のアメリカでは、エルビス・プレスリーのようにウエーブをかけた髪形が男性に人気があった。

  • また、1950年代終わりころから、男女ともにヘアピース(頭頂部をカバーするウィッグの)を使用することが流行しはじめています。

スクリーンファッションの流行

この時代には、欧米や日本でも評判になった映画の主演女優のヘアスタイルがしばしばファッションになっていた。

  • またそのスタイルは、カット技術で生まれるものが多く、ヘアドレッサーのカッティング技術が重要になっていく。
  • 1950年代初期に流行したプードルカットは、全体に5センチくらいのショートカットにして、プードル犬のように仕上げた。
映画の主演女優のヘアスタイルなどのファッションのことをスクリーンファッション(映画ファッション)といいます!

ヘップバーンカット

ヘップバーンスタイルヘップバーンカット)は、オードリー・ヘップバーン主演の映画『ローマの休日』の中で、長い髪の王女が思いきって髪を短くして、庶民の生活を体験しようと決意したことを象徴するシーンで話題になりました。

  • 額を半分くらい見せて前髪を切り下げ、両サイドの髪を耳を見せてなで付けたもので、イタリアンボーイの一種ともいわれています。
  • イタリアンボーイはカールやウエーブの入った不揃いのショートカットで、古代ローマの彫像にみられたところからのネーミングです。
  • 物語の舞台がローマであったという理由から、王女のボーイッシュなショートカットをマスコミはイタリアンと名付けたようだ。

ポニーテール

ポニーテールもスクリーンファッションで、1950年代後半に若い女性の間に大流行した。

ダックステール

ダックステール(アヒルの尾)は、ややウェーブをだした両サイドの髪を後ろになで付け、後頭部の毛先をはね上げるようにして左右を合わせたスタイル。

  • 1950年代のアメリカで流行した。なお、この時代には男性のリーゼントスタイルにも、ダックステールがみられた。

セシールカット

セシールカットは、1957年映画『悲しみよこんにちは』でヒロインのセシールを演じたジーン・セバーグのヘアスタイルであった。

  • 極端に短くした髪の毛を自然の流れにそって整えたショートカットの一種です。

バルドースタイル

バルドースタイルは、フランスの女優ブリジット・バルドーの好んだヘアスタイル。

  • カールした長い髪をゆるやかになびかせ、顔まわりを短い乱れ毛で覆っています。
  • 自由奔放なバルドーのキャラクターがうかがえます。1950年代末に流行した。



1940年代後半~50年代の服装

1945年にオートクチュールのパカン店が発表したスーツは、ウエストラインが細く、フェミニンな感覚がみられる点で、戦時中とは異なっています。

こうした新しい傾向を踏まえ、戦後最初の本格的ファッションとなったのが、1947年のディオールの「ニュールック」であった。

  • 8ラインやカローラ(花冠)ラインともよばれ、なだらかな肩、ほっそりとしたウエスト、裾広がりのロングスカートがデザインの特徴です。
  • 12世紀以来、1900年ごろまで続いてきた最もクラシックなシルエットであった。
  • 半世紀間忘れられていたシルエットが、戦時中はみられなかった優美さにより、逆に新鮮であり、そのために「ニュールック」という名称が定着した。
  • 以後約10年間、ディオールは、1953年春夏にはチューリップライン、同じ年の秋冬の作品で、クーポール(丸屋根)ラインなど、分かりやすいネーミングでニューラインを発表した。
  • マスコミは先を争ってこれを取り上げた。
  • そしてディオールは、「ファッション界の帝王」と称せられた。

カルダンジバンシー、その他多くのデザイナーたちもディオール同様、シーズンごとに新しいシルエットの作品を発表していった。そこで、ファッション史では、この1950年代をライン時代とよんでいます。

  • この頃ジバンシーが最も尊敬していたバレンシアガの作品は、どちらもルーズウエストで、当時のマスコミは、これらをサック(袋)ドレスとよんで揶揄していた。
  • しかし、このような着やすいデザインが1960年代の主流になっていくのです。
今も、別の意味でライン時代ですね

シャネルは、1910年代から活躍し、1920年代にはファッションリーダーとして注目されていた。

  • 彼女は1939年にいったん引退し、戦後の1954年に71歳で復帰した。有名なシャネルスーツは1960年代はじめに発表された。

戦後のファッションの進歩のうえで大きな役割を果たしたのが合成繊維です。

  • 戦前から欧米では絹に似た繊維を人工的に作る試みに成功していた。
  • 戦時中は軍需に投入されたが、戦後間もなく一般の市場に出回った。その最初の繊維が石油を材料とする繊維、ナイロンです。
  • ナイロンは絹に代わって、ストッキングやブラウス、下着などに用いられ、安価で丈夫で、絹の光沢をもつところから歓迎された。
  • その後、同じ石油系のポリエステルアクリルポリウレタンなどが開発され、人々の衣生活は急速に豊かになっていった。

19世紀半ばに登場したパリのオートクチュール(高級衣装店)は、ごく限られた上流階級の顧客を相手に、主として高価なイブニングドレスなどの注文服を扱ってきた。

  • タウンウェアとしてのスーツやコートなどは、コレクション作品の中では脇役でしかなかったのです。
  • しかし、1950年代にはオートクチュールの多くが、こうしたアイテムにニューラインを求めた。
  • それは、マスコミが読者の対象とした一般から上流までの幅広い社会層が関心を持つアイテムであり、オートクチュールはこうした方面に市場を広げようとしていたからです。

1950年代半ばに入ると、オートクチュールはさらに市場開発をめざして、プレタポルテ(高級既製服)の製造を始めた。

  • 豊かな繊維製品と既製服の高級化は、これまでになく広い範囲の大衆を、ファッションの世界へと取り込むこととなりました。



1960年代

1960年代の髪形

マッシュルームカットは、文字どおりマッシュルームのように全体に膨らみを持たせて毛先を内巻きにし、前髪・両脇・後ろに続けて毛先を切りそろえた、ボブの一種です。

  • すでに中世末期にみられたものであるが、ビートルズのメンバーが、1960年代初期のデビュー当時、この髪型であったところから、ビートルズカットともよばれています。

モヒカンカットとよばれるエスニックスタイルも流行した。

  • モヒカンとは北アメリカインディアンの一部族の名称で、この部族独特の髪型が、1960年代後半に若い男性のストリートファッションとなりました。
  • 頭部の中央部を前後に高く逆立てて、周囲を短く刈ることによって目立たせています。

1963年に、ロンドンの美容師ヴィダルサスーンが、ミニスカートで有名になったデザイナー、 メアリークワントのコレクションでジオメトリックカットを発表した。

  • ジオメトリックとは、「幾何学的」という意味です。
  • 前髪を長く下げたボブの一種で、耳の前後で毛先をとがらせてカットし、後ろは深くとがったV字状に刈り上げたスタイルです。
  • 尖らせたポイントが全部で5つで、ファイブポイントカットともよばれた。
  • サスーンはその後、このような前衛的なスタイルを次々と発表していく。マスコミは、一連の幾何学的なカットをサスーンカットとよんでいた。

1960年代中ごろから流行したアフロヘアは、もともと、アフロ・アメリカン(アフリカ系アメリカ人)にみられる自然の髪型で、縮れた髪の毛をすいて立たせ、大きな球型に整えたスタイルです。

  • この髪型がR&B系のミュージシャンたちに取り入れられ、やがて1960年代末期のヒッピーなどの若者ファッションとして流行した。
  • カーリーヘアは、頭髪全体にカールをかけて整えたスタイルの総称で、アフロヘアもこれに含まれます。
  • キンキー(よじれた、の意)ヘアとよばれる、アフロの小型のものもカーリーの一種です。

1960年代は、すでに述べてきたように、激動のファッション革命の時代であった。

  • 既成の価値観が覆され、ヤングパワーが炸裂し、さまざまなアバンギャルドやエスニックテイストがファッションに反映された。
  • こうした時代の雰囲気は、ヘアスタイルにおいても見事に表現されていたのです。

1960年代の服装

1957年のディオールの死後、同店の後継者となったサン・ローランは、翌年、トラペーズ(台形)ラインを発表したが、これはオートクチュールの顧客の間では不評であった。

  • 1960年には太い糸の黒のセーターの上に毛皮の袖なしコートを重ねた、今日ではごく普通のカジュアルスタイルを発表した。
  • これはまるでストリートファッションとしてのビート族の服装のようだと評せられ、我慢のできない下品な服といわれた。
  • この後、サン・ローランはディオール店を解雇されてしまう。
  • ところが、既製服によるヤングのマスファッションとしては、どちらも流行したのです。
  • 1962年に独立して開店したサン・ローランは、その後サファリルック(狩猟服)、スポーティヴルックなど、スポーティーでカジュアルな感覚のスタイルを次々とデザインした。
  • 当初はマスコミにも椰楡されたが、その方向は確実にファッション界に広まっていった。
  • またタキシード・スタイルなど、ユニセックス的なスタイルを発表していった。

戦後ファッションにおけるスカート丈は、膝下7~10センチ程度がノーマルとされていたが、1960年代半ばに、この丈を膝上までに極端に短くしたスカートが、ロンドンのダウンタウンのティーンエイジャーから始まった。

  • いわゆるストリートファッションです。
  • その極端な短さから「ミニスカート」とよばれた。
  • このミニスカートを既製服として売り出して成功を収めたのがイギリスのファッションデザイナー、メアリー・クワントです。
  • 1965年にはパリ・オートクチュールのクレージュも取り上げ、世界的なファッションとなりました。
  • 女性の脚を大胆に表すということ、またパリ・オートクチュールではなく、ストリートから生まれ、若者向けの既製服から広がったことなど、1960年代以後のファッションの方向性を示す現象であった。
  • ミディ(ふくらはぎの半ばくらいの丈)、マキシ(くるぶし丈)のスカートも1960年代末に、現れた。

1960年代の女性ファッションにおけるめざましい進展としては、パンツスタイルの普及があげられます。

  • 1963年、クレージュはパンタロン(フランス語で長ズボンのこと)を発表したが、当時は奇抜な発想としてしか受け止められなかった。
  • しかしパンタロンは1960年代後半以降、タウンウェアとして発表され、やがて1970年代に入ると、マスファッションとして広く流行した。
  • かつて女性のパンツスタイルは作業やスポーツ用に限られていたが、1970年代以降は女性のパンツスタイルは、あらゆる生活のシーンにおいて珍しいものではなくなりました。

1960年代後半には、同じパンツスタイルの1つであるジーンズが普及したことも重要です。

  • ジーンズは19世紀後期のアメリカで生まれた労働着であったが、1950年代後半からアメリカ映画の影響も手伝って、世界的に若者の間に広まりつつあった。
  • 1960年代には、欧米に広がった学生運動やロックミュージシャンなどの影響からさらなる広がりを見せ、1970年代以降、性別や年齢を問わない、幅広い層のカジュアルな服装として確実に定着していく。