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16.西洋(18後半~19世紀) まとめ

18世紀末~19世紀初頭

18世紀末~19世紀初頭の髪形

フランス革命後の男性の髪型には、貴族階級にみられた長いスタイルやかつらがなくなりました。

  • 側頭部の毛を犬の垂れ下がった耳のように長めに伸ばし、前髪と頭頂部の毛は風のままに乱れた感じにまとめたスタイルや、犬の耳はみられないが、風に吹かれたようなスタイルが流行した。

女性の髪型も、フランス革命前のような巨大なスタイルはなくなり、古代ギリシャ・ローマ風のスタイルが流行した。

  • シニョンをやや低めにとったギリシャ風のスタイル、古代ローマ皇帝テイトウスの髪型に似ているスタイルで、ふぞろいのショートヘアをカールさせ、頭頂部から額や頬の上までなでおろしたものなどが流行った。



18世紀末~19世紀初頭の服装

フランス革命後のメンズファッションの大きな変化は、あの大きなキュロットが廃れ、タイツのように細い長ズボンになったことです。

フランス革命の際、革命派のグループが、下層労働者の服装であった長いズボン(パンタロン)を履くことによって、労働者の味方であることを誇示した。

  • 彼らはサン・キュロット(キュロットを履かないの意)とよばれた。
  • 革命後の19世紀前半には、上流階級の男性たちのすべてが長ズボンを取り入れることになったのです。
  • 装飾的で華やかなシルクの上着はみられなくなり、無地の地味な色のウール製の服が広く着用された。

革命の一時期には、風変わりな服装も現れた。

  • 上襟を高くし、派手な柄ものや色彩を張った巨大な三角のラペル(下襟)の七分丈の上着を、ウエストを極端に細めて、ボタン掛けで着用した。
  • また、小さな三日月形の二角帽をかぶり、ねじれた木の棒を警棒として持ち歩いていた。
  • この奇抜で目立つスタイルは、サン・キュロット派と張り合って生まれたものとみられています。

ラペル

テーラードカラーという上下に分かれた襟の下の部分のこと。

女性のドレスも大きく変わった。

  • 華やかな装飾もなく、ウエストは高くほっそりとしており、モスリン(木綿や羊毛などを平織りにした薄地の織物の総称)で作られています。
  • 18世紀末の下着のようなドレスをさらに簡素化したドレスは、古代への憧れと、自由・平等という革命期の意識を反映したものといえます。
  • このことから市民ファッション用の綿織物の生産がヨーロッパで盛んになったことがうかがえます。

19世紀

19世紀の髪形

19世紀前期の男性のヘアスタイルは、頭の真ん中で左右に分けていたが、中期になると横分けが多くなり、カールさせたり、ウエーブを付けたりしていた。19世紀初期から比べると、男性のヘアスタイルはシンプルになってきた。

18世紀末から19世紀中ごろまでは、シルクハットがヨーロッパ各地でかぶられていた。

  • 後期になり、フロックコートをはじめ貴族・ブルジョアの日常服がだんだんと礼装化してくると、シルクハットも一部の貴族を除いて、やはり礼装としてかぶられるようになりました。
  • 後期には、山高帽やソフトフェルトハットが普及していった。

19世紀末期になると、後頭部を短く刈り込んだスタイルがポピュラーになり、ついに今日の標準的な男性のスタイルが定着した。

  • この髪型が、明治時代の我が国における断髪令発布のきっかけとなりました。



女性のヘアスタイルは、19世紀初期には簡素なものが好まれた。

  • 1830年ころには頭頂部でまとめた髪を固く編んでねじ曲げ、ファンタジックな大きなシニョンをつくるようになりました。
  • またさらに、その結んだシニョンをワイヤーで高く立て、これにラッカーを塗ったスタイルが生まれ、アポロノットとよばれた。

中期以降は、中央分けにして後ろにまとめ、大きなシニョンをうなじの上にまとめたスタイルが好まれた。

  • その後さらに数多くのヘアスタイルが、有名なヘアドレッサーの手によって生み出された。
  • ネットや打ちひも、羽飾りなどがさまざまにアレンジされて、めまぐるしく流行が打ち出されていった。

1880年代には、パリの美容師マーセル・グラトーによって、マーセルウエーブ技術によるウエーブを用いた髪型が大流行した。

  • 19世紀末には髪の漂白技術として、過酸化水素水を使う方法が知られるようになり、人工的に金髪にすることが広く行われるようになりました。

19世紀の化粧

18世紀にみられた人工的な厚化粧が嫌われて、薄くて自然な化粧が好まれるようになってきた。

  • 特にヴィクトリア時代にその傾向は強くなっていった。
  • その理由は、化粧のもつ欺瞞性(ぎまんせい)という道徳的な面からもあったが、あいかわらず化粧品に使用されていた鉛や水銀の化合物の毒性への警戒感がいっそう認識されてきたからです。
  • 1866年には、無害の酸化亜鉛(亜鉛華ともいう)が発見され、徐々に普及していった。
  • 19世紀末にはコールドクリームタルカムパウダーうすだいだい色のおしろいが登場しています。

19世紀の男性の服装

1810年ころ、メンズファッション界でのファッションリーダーとして有名だったのがイギリス人のボー・ブランメルです。

  • そのおしゃれ哲学は「目立たない」ことであり、18世紀宮廷貴族の美学からの決別であった。
  • 具体的にいえば、素材はシルクからウールに変わり、刺繍の飾りから無装飾に、華やかなマルチカラーからモノクロ(白・黒・グレー)に変わった。
  • そして、首元のクラヴァット(ネクタイの前身)の結び方にこだわり、上着(燕尾服、フロックコート)、ベスト、トラウザーズ(英語でズボンのこと)の、一分の隙もない仕立てのよさとシルエットの美しさを求めた。
  • 当時このようなスタイルを着こなせる男性たちはダンディ(伊達男)とよばれた。

1830年ごろのダンディたちには、燕尾服フロックコートなどの上着を着用した。

  • 燕尾服は夜会用、フロックコートは日中用として時間帯ごとに着分けされた。
  • モーニングコートは午前中専用の上着として登場したが、19世紀後期以降は昼間の礼装用となり、現在に至っています。

1850年代以降、これまでの膝丈のコート類に加えて、ラウンジスーツとよばれる腰丈のジャケットが登場した。

  • 当時は家庭やプライベートな外出、遊び用であったが、19世紀後半には市民階級の間にタウンウェアまたはビジネスウェアとして普及していく。
  • これが今日の男性のスーツのルーツです。



19世紀の女性の服装(重要)

フランス革命後のシンプルなファッションに対して、1820年ころから、X字型のシルエットが復活しはじめた。

  • 1830年代に文学・芸術界でロマン主義が広まると、女性の服装では、なで肩、大きく膨らんだ袖、やや裾広がりのスカート、そして細いウエストからなるフェミニンなスタイルが生まれた。

この後、スカートの裾幅は年毎に広がり、1840年代にはスカートのボリュームを内側から支えるアンダースカート、クリノリンが出現した。

  • これはクリノリンという素材(麻と馬毛の交織布)からついた名前であるが、1850年代には当時の工業技術を生かした鋼鉄(スチール)のしなやかな針金の輪をつないだちょうちん状のアンダースカートとなりました。
  • 素材も非常に軽く、人気を集めた。

1870年代以降には、バッスルとよばれる尻当てを入れ、ヒップを膨らませることが流行した。

  • これは明治初期に日本の上流婦人たちに導入され、世間ではこれを鹿鳴館スタイル(バッスルドレス)とよんだ。

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また、1860年ごろのファッション界での重要な出来事の1つとして、パリ・オートクチュールが始まったことがあげられます。

  • オートクチュールの創始者、ウォルトは、それまでの仕立店とはまったく異なった商法を考え出した。
  • 彼はまず、幾種類かのデザインの原型にしたがって、実際のドレスを製作します。
  • 顧客が訪れると、生きたマヌカン(見本のためのファッションモデルのこと、マネキンと思ってOK)がそれらを着て、ショーを披露します。
  • 顧客は実際に作品を着て動く姿を観察してから自分に合うモデルを選び、そのデザインで、自分の体に合わせて仕立ててもらうという方式です。

19世紀末には、上流階級の男女に流行したサイクリングのための女性用スポーツウェアが登場した。

  • ブルーマーズとよばれたズボンをはいており、当時としては画期的な服装であった。
  • このころになると上流の女性はいろいろなスポーツを楽しむようになっており、まだ本格的なスポーツ服は登場しないが、通常の服に比べると、カジュアルな服装をする機会が生まれた。

同じく19世紀末、ロンドンのテーラーが男性の背広の上着をアレンジした乗馬服が登場した。

  • これが上流階級に流行し、やがてタウンウェアとして着用されるようになりました。
  • テーラードスーツの誕生です。
  • 少しずつモダンな女性服が登場してきたといえます。