16世紀
16世紀の髪形
16世紀前半に在位したフランス国王フランソワ1世が、頭部の負傷の治療のために髪を切って短髪にしたのがきっかけで、フランス男性の間で短髪が流行した。
- また、イギリス国王ヘンリ8世がこれにならって短髪を命じ、ヨーロッパでは広く短髪が流行した。それと同時に、さまざまなスタイルのひげも流行した。
16世紀後半になると、頭髪の薄くなった男性にはかつらの使用がみられ、同時にベレー帽タイプのかぶり物が流行した。
中世にはかぶり物に包み込まれていた女性の髪は、ルネサンス時代に入るとしだいに表に現れるようになります。
- 特に都会の若い女性ではこの傾向が強くなります。
- またかぶり物は中世末期のエナンやエスコフィオンのような極端に丈の高いものは、16世紀には見られなくなります。
中世末期に流行した広い額と薄い眉は16世紀初期まで好まれ、前髪を後方にひっつめる習慣が残っています。
- これには額を飾る鉢巻状の髪飾りであるフェロニエールが人気だった。
16世紀後半になると、付け毛や入れ毛を使った巻き毛で額を縁どり、リンゴ型、ハート型、洋ナシ型などに形づくったヘアスタイルが流行した。
この時代のファッションリーダーは各国歴代の王妃たちであり、真珠、宝石、羽飾り、レース、ひも、ヘアネットなどによって、髪を美しく飾っていた。
16世紀の化粧
この時代の女性たちは、とにかく純白の肌が理想であると信じていた。
- そのために鉛製のおしろいがもっぱら使用されており、鉛白の使用で歯が腐り、不快な口臭を発することなどに対して当時から医者の注意や警告があったが、理想とする色白のためには無関心で無頓着であった。
また、16 世紀のヨーロッパでは、入浴は体に害があると信じられており、入浴の習慣は衰えをみせた。それにより、体臭を意識して、香水への関心が高まっていった。
16世紀の男性の服装
16世紀、特に男性の間で流行したのが、衣服に無数の切り込みを入れる装飾です。
- 戦場での刀や槍でボロボロになったドイツの兵士たちの服装から生まれたとされます。上着やタイツ、帽子、手袋、靴にまで施された。
16世紀に、男性の服装で大きく変化したのは下半身(ボトム)であった。
- 15世紀半ばに成立したタイツ状のものに代わって、ひざ丈の半ズボンが登場した。このようなボトムは、18世紀まで続く。
17世紀末から、この半ズボンはフランス語でキュロットとよばれた。名称の語源はフランス語のキュ(お尻の意)です。
- 16世紀後期、キュロットは膨らみはじめ、しだいにエスカレートしていった。
- 16世紀末にみられたものでは、巨大なカボチャ型になっていて、当時の女性の膨らんだスカートと共通性をみせています。
- 男らしさの表現は上着(トップ)に移動した。
- 袖や腹を膨らませるファッションによって、力強く男らしく装っていた。
16世紀の女性の服装
女性のファッションでは、理想的なシルエットを生み出すための下着が登場した。
1つはスカートを大型の円錐形やドラム型などに保つためのもので、しなやかな木の枝などの輪をちょうちんのように張ったアンダースカート、ファージンゲールです。
- ほかに、腰のまわりに太いタイヤのチューブのようなパッドを入れた、巨大なドラム缶型のスカートもみられた。
もう1つが、ウエストを細く締めるコルセットです。
- 固い麻布や、時には金属なども用いて胴部を逆三角形に整えます。
- 細いウエストは、中世末期以降、女性らしさのポイントとして求められてきたが、コルセットはその究極の答えといえよう。
アンダースカートとコルセットからなるX字型シルエットは、威厳と女性らしさをあわせ持つスタイルとして、19世紀末まで続き、20世紀になってもイブニングドレスやウエディングドレスに受け継がれています。
16世紀後半の男女に共通して流行した襟は、ぐるりとひだをたたんだ襟、ラフと呼ばれた。
- 最初はシャツの襟であったが、大きくなるとシャツから切り離され、独立した装飾品となりました。
- 大型の場合は糊付けをしたり、裏に支えをつけた。
17世紀
17世紀の男性の髪形
この時代はメンズファッションが華やかさを増し、それが男性の髪形のおしゃれにも現れた。
16世紀は短髪が主流であったが、17世紀初頭にはラブロック(愛敬毛(あいきょうげ))とよばれる、カールさせた一房の長い巻き毛に蝶結びのリボンを付けて前に垂らすスタイルが流行しはじめた。
- その後次第に巻き毛が長くなり、肩から下にまで広がった末広がりのスタイルに変化していった。
- 宮廷では、長い髪が高い身分のシンボルになっていった。
17世紀には、かつらが大流行した。
- 17世紀前半のフランス国王ルイ13世は、若いころからはげていたため、長髪のかつらを常に使用していた。
- そこで、周囲の貴族たちも国王に恥をかかせまいとして、競ってかつらをかぶったという。
- また、次の国王ルイ14世も、30代の半ばから頭髪が薄くなり、かつらをかぶるようになりました。
- 王は大変おしゃれで、起床時、昼食時、夕食時など、TPOに合わせて、さまざまなデザインのかつらを作らせていた。
- また、お気に入りのかつら職人に対しては「芸術家」の称号をあたえていたという。
- 王が老年になり、白いかつらを着用すると、宮廷内では老年でなくとも白いかつらをまねたという。
- こうして、貴族の間でかつらは大流行していく。
17世紀後半には、髪やかつらに色の髪粉(かみこ)をかけることが流行した。
- 古代ギリシャでは金や赤、白などの粉をふりかけ、古代ローマでは金色の粉が特に人気であった。
ひげについては、この時代は先のとがった口ひげや、下唇のすぐ下の小さな三角ひげが多くみられた。
17世紀の女性の髪形
17世紀後半に、2つのヘアスタイルが女性に評判となりました。
1つはユルリュ・ベルリュ(そそっかしい女の髪型の意)と名付けられたものです。
- 前、両横の毛をカットして焼きごてなどを使って、派手ならせん形の巻き毛や縮れ毛の房をサイドにあしらった、極めて斬新なスタイルであった。
もう1つはルイ14世の愛人だったフォンタンジュ嬢が創案したといわれているスタイル(フォンタンジュ風)です。
- レースのリボンを前髪で結ぶのが特徴だが、やがて針金の骨組みを入れて途方もなく高くしたものとなりました。
- またレースもフリルにたたんだものを何段も重ねて、高々と飾り付けるようになりました。
17世紀の化粧
16世紀中ごろから18世紀末にかけて、上流の女性の間で、ときには男性にまで、顔面のつけぼくろが流行した。
- 英語ではパッチ(ばんそうこう)あるいはビューティ・スポット、フランス語ではムーシュ(ハエ、蜂)とよんでいた。
- 17世紀後半になると、パッチは単純な円形ではなくなって、ハート、満月、星、ひし形、キューピッドなど、ありとあらゆる図形がみられるようになりました。
- それは他人の視線を意識したためで、やがてその数もエスカレートしていった。
- またパッチの位置によって、それぞれ情熱家、キス好きなど、さまざまな意味を持たせたものも生まれた。
17世紀の服装
16世紀後半から17世紀にかけて、貴族の下にランクづけされていたブルジョアの男性たちの間で新たなファッションが生まれます。
すべて黒のウールでまとめた服装です。
- 貴族的な華やかさを捨てながらも上質なウールに高価なリネンやレースの装飾を付けて裕福さを誇示しています。
17世紀後半になると、長い上着を2枚重ね、それにキュロットを組み合わせた貴族服が登場します。
- 外側の上着をジュストコル、内側の上着をベストといった。
女性のドレスについては、17世紀前半には極端に大きなスカートは消え、自然なシルエットへと移行した。
18世紀
18世紀の男性の髪形
男性の髪形は変わらずかつらのおしゃれが中心であった。
- 17世紀にみられた大きな末広がりの長髪スタイルはほとんどなくなり、髪を首の後ろでまとめてリボンを結んだ結びかつらや、テールの部分を襟足のところで折り返して輪にし、紐や蝶結びのリボンでとめたカドガンなど、こぢんまりとした髪形が登場した。
また16世紀以降から男性のかつらは身分・階級・職業の象徴として着用されてきた。
- 18世紀以降はこの傾向がさらに著しく、さまざまなスタイルのかつらが登場した。
- 髪粉も変わらず盛んに使用されていた。
18世紀の女性の髪形
18世紀中ごろまでの女性の髪形は、前髪を巻き毛にし、残りのヘアを頭の上に小さなシニョンにまとめる、比較的ナチュラルなスタイルが多かった。
しかし1760年代以降、驚くほど高く大きい髪形が登場し、18世紀末まで続いた。
- 一部の画家などはこのような髪形を狂気の沙汰であると風刺した。
- この時代の上流の女性の髪は、といたり、櫛を入れたり、洗ったりすることはできなかった。
- 悪臭は香水でごまかしていたが、ノミやシラミが巣くっており、ノミ取り器をドレスの内側に入れていた。
18世紀の化粧
18世紀初頭にオーデコロンが開発された。
- また18世紀前半、フランス宮廷の女性には、静脈を青色でなぞって強調することが流行したという。
18世紀後半には、白い頻に強い赤の口紅、頬紅(どちらもフランス語ではルージュという)を濃く塗るメイクが流行した。
18世紀の服装
男性の貴族の服装は、17世紀のジュストコルを少し変形させた前開きの長い上着アビと長いベスト(ウエストコートとも呼ぶ)、キュロット(半ズボン)と絹のストッキング、パンプスの組み合わせです。
- ベストは時代とともに袖がなくなり、丈も徐々に短くなり、18世紀末には現代のベストの形に近づいた。
- 上着、ベスト、キュロットの色彩は明るく、刺繍やレースも使われ、華やかではあるが、18世紀のファッションは女性の方が豪華でバラエティ豊かであった。
女性の服装では、17世紀にはやや控え目であった巨大なスカートが、18世紀に再び登場した。
- 16世紀の大きなアンダースカートが復活したようなもので、パニエ(フランス語でかごの意)とよばれた。
- 18世紀後半には前後は比較的扁平で、左右に張り出した形になりました。
- コルセットによってウエストは細く、胸元の大きな襟あき(デコルテ)で露出したバストの部分を下から押し上げる効果を発揮しています。
- この伝統的な下着によって、女らしさの魅力を演出したものです。