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14.西洋(古代エジプト・ギリシャ・ローマ・ゲルマン・中世ヨーロッパ) まとめ

古代エジプト

古代エジプトの髪形

男性は、上流階級から庶民まで原則として頭髪を剃った。

女性は、シンプルなショートカットであった。

  • 上流階級においては男女ともにその上にかつらを重ねた。
  • かつらは上流階級のシンボルでもあった。



古代エジプトの化粧

上流階級では、男女ともに化粧が行われた。

  • 現代一般的に用いられるアイライン、アイシャドー、マニキュア、ペディキュアなどもすでに行われていた。
  • 緑色片岩の一種である「くじゃく石」は、クレオパトラのアイシャドーとして使われていたと言われています。
  • 病気や災は、目から入ってくると考えられていた
  • 香油(体を清め、肌を滑らかにするための油)づくりに高い技術を持っていた。

古代エジプトの服装

古代エジプトのファッションについては、ピラミッドや宮殿の壁画などから広く知られています。

  • 熱帯から亜熱帯というこの地域の気候から、古代エジプトでは、薄い麻布の衣服を着用していた。
  • ほとんど裁断のない布を体に巻き付けたもので、その着方の変化によって、男女や身分の差が表現されていた。

一枚の布地をほとんど裁断・縫製することなく、体に巻き付けたり、垂らしたりして、ひもやピンなどで留めるだけで着付ける衣服は、英語ではドレーパリーとよぶ。

  • ドレーパリーは地球上の多くの地域で同時発生的に生まれたが、比較的温暖な気候の地域には長く存続した。
  • 古代エジプトや古代ギリシャにも、その典型的スタイルがみられた。
  • またインドのサリーなどは、現代にまで生き残ったドレーパリーの例です。
  • これらのドレーパリーは、例えば三宅一生(みやけいっせい)が1970年代以降に発表してきた「一枚の布」というファッションデザインの考え方にも通じます。

古代ギリシャ・ローマ

古代ギリシャ・ローマの髪形

男性

男性のヘアスタイルは、短く刈ったものが多く、かなり変化に富んでいた。

  • 強い男のシンボルとしてひげが好まれたが、紀元前4世紀前半のアレクサンドロス大王の時代に、戦いの時に敵にひげをつかまれて不利になるという理由から、ひげを鋏(はさみ)で切るようにという命令が出されたと伝えられています。

また、髪やひげを整える理髪所が出現し、やがて男たちの社交クラブになっていった。

  • マッサージや傷の手当、簡単な外科手術まで行われた。
  • エジプトのような宗教的意味合いのかつらはなかったが、演劇用としてのかつらや仮面は盛んに作られていた。

女性

女性の場合は、後ろ髪のアップスタイルが好まれていた。



古代ギリシャ・ローマの化粧

紀元前4世紀ごろから色白にみせるためのメイクが流行しはじめた。

  • そのために、おしろいの原料として鉛白(えんぱく)の使用が始まった。
  • 鉛白には毒性があるため、絶えず医師たちの警告が発せられていたものの、19世紀末に亜鉛華(あえんか)が発見されるまで使用された
  • 化粧品を英語でコスメティック(cosmetics) というが、その語源は「整った」とか「秩序だった」という意味をもつギリシャ語のKosmosに由来しています。

古代ギリシャの服装

ドレスは薄手のウール地や精巧な織りのリネンが使用された衣服だった。

  • そして、古代エジプトの衣服と同じように、ほとんど布地を裁断・縫製しないドレーパリー形式であった。
  • 代表的なものがウール地を用いたペプロス、デリケートなプリーツ加工を施したリネン地を用い、体の線が透けて見えるシースルーのイオニア式キトンなどです。

古代ローマの服装

古代ローマ文化は、紀元前3世紀ごろから古代ギリシャの影響を強く受けていた。

  • 髪型、化粧、服装のいずれもギリシャのスタイルを受け入れていった。
  • 市民権をもった男性の典型的な服装は、トガとよばれ、巻き付け方、布地の色などによって身分・地位が表現された。
  • 一方、女性の服装には、何枚もの重ね着や複雑な着付け方がみられ、紀元前後にはシルクロードを通って伝えられた絹織物も用いられた。
  • 紀元後2世紀には、それまでのドレーパリー形式とは異なった、直線的に縫い合わせた衣服であるダルマティカも登場した。

髪型にもバラエティ豊かな試みが登場した。

  • 例えば、ブロンドなどの毛染め、さまざまなデザインのかつら、美しい髪飾りなどが上流の女性の間で競われた。
  • また、化粧は色白が主流であった。

古代ゲルマン

古代ゲルマンは、男女ともにエジプトやギリシャ・ローマなど、地中海の温暖な気候の中で育まれたドレーパリー形式の服装とは異なっていた。

  • 体に合わせて裁断・縫製をした形式であること、ツーピース型であること、また男性がズボン式の衣服を身につけていることが古代ゲルマンの服装の特徴です。
  • これは身体の活動性を保持したうえで保温性を高める工夫から生まれたと考えられます。
  • これらの特徴はその後、現代につながる洋服の特徴の基礎となっています。

中世ヨーロッパ

ヨーロッパでは、5世紀から15世紀ごろまでを中世とよんでいます。

  • 14~15世紀には華やかなファッションが生まれ、現代に通じる洋服の典型的なスタイルが成立した。
  • 中世初期イギリスでは、外科医の仕事のなかに理髪もあった。
  • 14世紀〜15世紀頃 イギリス・フランスでは、理髪師たちの同業組合が作られた。
  • 理髪師たちが、血を抜いて治療する放血術や簡単な外科行為も行っていた。
  • 外科と理髪が分離するのは、16世紀中頃です。



中世ヨーロッパの男性の髪形

髪型は、長いものから極端に短いものまでさまざまであった。

ひげは、鼻の下の「口ひげ」、あごのまわりの「あごひげ」、もみあげから頬への「頬ひげ」の3種類があった。

  • ひげは顔面にありヘアスタイル以上に目立つため、時代、民族、宗教、身分、階級によってさまざまなスタイルがあり、逆にひげを一切排除する社会もあった。

中世ヨーロッパの女性の髪形

中世初期から13世紀ごろまで、女性のヘアスタイルやメイクは、教会により控え目にすることが求められ、華美なスタイルは厳しく規制されていた。

  • 教会では、旧約聖書にある人間の祖先であるアダムとイブが蛇の誘惑によって禁断の木の実に触れた罪は、女性であるイブの誘惑にアダムが従って犯したと説いていた。
  • このことから、女性は罪深き存在であり、女性がヘアやメイクの美しさで男性を誘惑することにつながるとして、望ましくないとされていた。

こうした教会の教えの影響により、女性のヘアスタイルは一般に控え目であり、12世紀からはしばしばベールで頭部から肩を覆っていた。

  • 12世紀後期には、ウィンプルとよばれる首元を覆う布が、ベールとともに用いられるようになりました。
  • これは薄手のリネンで、両端を左右の耳の上でピンで髪に留めつけて首の前を隠した。

13世紀にはかぶりものとして、縁なしの浅い筒型のクラウン型の帽子が登場し、これに頬を覆ってあごの下に回したチン(あご)バンドを組み合わせたスタイルが登場した。

14世紀 ベールやウィンプルは少なくなります。

15世紀になると、上流の女性のかぶり物は大型で装飾的になります。

  • 筒型の簡素な帽子は大型化し、装飾的で豪華になり、ヘアネットはヘアだけではなく詰め物も包んでさまざまな形に作り上げられた。
  • これらはエスコフィオンと総称されています。
  • また、エナンとよばれる先の細くとがった円錐形やその先端をカットした形の帽子が流行した。

中世ヨーロッパの化粧

入念なメイクは禁じられていたが、蒼白色の肌は上品で美しいとされていた。

  • そのために、上流の女性たちは絶食をしたり貧血状態を保つために血液を抜いたりしていた
  • 青白い顔色にするための化粧品も開発されていた。
  • また、白い歯を保つために歯磨き粉が使用されていた。
  • 髪を染めることもあり、金髪や黒髪に人気があった。



中世ヨーロッパの服装

12世紀の貴族の男性は、以前のような長ズボンはみられず、長いワンピースドレスを重ね着しています。

  • 農民の男性のワンピースは短かったが、やはり長ズボンを履かず、ハイソックスを履き、後にはこれが腿を覆う長さになっていった。
  • 民族の大移動でローマ帝国に侵入してきたゲルマン民族は、ローマ人の文化に憧れを抱き、ローマ人たちから野蛮のシンボルとみられていた長ズボンを避けたものと考えられます。

12世紀末期には、男女の服装に少しずつ変化がみられるようになります。

  • 12世紀の貴族の女性は、ソフトな布地のワンピースを着用しています。
  • 帯状の幅広のベルトによってウエストの細さが強調され、女性らしい体の特徴が強調されています。

中世の終わりごろ、騎士たちが身に付けた鎧は、鎖や薄い金属片を革や布に縫い付け、体に合わせた上着状のものであった。

  • この鎧の下に体にぴったり合い、しかも全体にキルティングをした厚地の上着を重ねたが、14世紀にはこれが男性の日常着として流行した。
  • このことがきっかけとなって、その後の衣服は体によくフィットし、男性らしい力強い体を強調した上着が定着した。
  • また、この上着は鎧に合わたけせた丈の短いものであったことから、男性の上着も短いものが流行し現代のジャケット丈の上着が広まった。
  • その結果、下半身を覆うために、ハイソックスがしだいに長くなり、脚の付け根までの長さになります。
  • 15世紀半ばにはさらに左右が合体して、タイツ状になりました。

同じころ、女性の服装でもウエストにベルトを締めるのではなく、全体に優美に上半身に沿い、しかもスカート部分は袖に向かってボリュームを持たせた広がるような裁断技術が用いられるようになりました。

こうして男女ともにそれぞれの性を強調するような、ぴったりと合った仕立てとなり、男性は上着と、2本の脚を分ける形式の衣服を組み合わせたツーピース形式、女性はワンピース形式となり、服装における性差が明確となりました。

  • この新しい服装上の美意識は、その後長くヨーロッパの服装に根付くことになります。